看護専門学校入学~入職まで
看護師になろうと決意したのは高校生の夏休みのことでした。
それまでは、高校を卒業したらそのまま地元に就職しようと思っていました。
と姉から言われ、言われるがままに看護専門学校を受験し、あれよあれよと翌年の4月からは看護学生になりました。
看護学生時代は、控えめに言っても地獄でした…
勉強、実習、実習記録…
3年生の実習の時は、朝5時まで実習記録をまとめ、1時間だけ仮眠してまた実習に向かう…
そんな日々が続きました。
友達がいなければ私は看護学校を辞めていたと思います。
そんなこんなでなんとか国試に合格し、やっと看護師になれました!
入職~地獄の新人時代
看護学校卒業後、そのまま地元の総合病院に就職しました。
新人で、消化器外科病棟に配属されやる気に満ち溢れていました!
が…、そんな私の心はすぐにポッキリ折れてしまいます…
ストレスでご飯が食べられなくなり、出勤しようと思うと吐いてしまう…
そんな日々が続き限界を感じた私は、親に仕事に行きたくないと伝えました。
誰も味方はいないと感じました。
でも奨学金を返さなければいけないので辞めるわけにはいかなかったんです。
この時期は「いつか絶対あの先輩をぶっ飛ばす!!!」という、なんとも恐ろしい理由で毎日乗り切っていた気がします。
2月頃になると、少し話せる先輩も出来て、その先輩のおかげでなんとか1年目を乗り越えることができました。
誰か1人でも笑顔で話せる人を作れたことが、1年目を乗り越えられた秘訣だと思います。
2年目~転職を決意するまで
2年目以降は、少しずつ仕事が楽になってきました。
疾患の病態と治療方法、それに対する看護を関連付けて考えられるようになり、先輩に怒られることも少なくなってきました。
看護協会の研修や、病棟の勉強会にも積極的に参加したくさんのことを吸収しました。
25歳で結婚し、26歳で娘を出産し、順調な生活を送っていました。
しかし、娘が1才になり仕事に復帰してからが大変でした。
育休後に配属されたのは消化器外科・内科の混合病棟。
毎日の残業に加え、経験年数が上がったためプリセプターや委員会など、看護業務以外にも様々な仕事をやるようになりました。
家に帰った後は母親として、家事をして、娘が寝たあとは委員会の資料やレポートを作る…
残業で遅くなったときは、夫が食事を作って娘に食べさせてくれたりもしていました。
忙しい私は毎日イライラ。そんな姿を見ている夫もイライラ。
漠然とそう考えるようになっていました。
もっと家族と過ごす時間を増やしたい。
バリバリ働かなくてもいい!家族との時間を大切にしよう!
そう決めた私は、小規模な病院へ転職することにしました。
転職決意後~有給消化中について
総合病院から小規模病院へ転職すると決めたはいいものの、お給料が減ってしまうことが心配でした。
年間30万近く収入が減ってしまう…
果たして生活していけるのだろうか…
転職を決意してから、毎日そのことを考えるようになりました。
そこで私はお金の勉強を始めました。
お金に関する本を読み、YouTubeでリベラルアーツ大学や中田敦彦のYouTube大学の動画を見て、自分にできることはないか探しました。
支出を見直す、お金を稼ぐ、資産を増やす
ここをきっちり頑張れば、転職しても生活水準を下げることなく生きていける!
そう考え、まずは支出を見直すことから始めました。
それと同時に、お金対して知識がなさすぎる自分を変えたくてファイナンシャルプランナーの勉強も始めました。
有給消化中は、毎日の時間をファイナンシャルプランナーの勉強に費やしています。
転職後~現在
Coming Soon!!